2012年04月01日

エイプリルフール

3月11日からこっち、ぜーんぶウソだったらいいのになぁ、
なんてことをエイプリルフールにかこつけて言ってみる。

たいした被害のない私でさえ、
普通に生活をしている中で、
いろんなニュースを目にしたりして、いまだに悩み、迷い、悔しいことが多い。

だけど先日行った気仙沼で、
地元のおばちゃんたちが元気に動いている姿を見て、
笑顔でいるのを見て、あぁ、笑っていいんだと、思えたよ。
1年経ってようやくそう思えた。
ほっとした。

どこか心の奥底に、生きていることへの罪悪感があるんだよね。

どうしてもやる気が出なくって、
それがまた時間を無駄にしているようで、あせって、落ち込んだりするけれど、
それも自分の大事な感情だってことを忘れてはいけない。

自分のいま抱いている感情を大事にしたい。


身内や親しい人を亡くした人が、その人の分まで生きると誓う。

応援するよ。

だけど、無理しないでほしい。

自分を精一杯生きるだけでも大変。
自分の想いを突き通してもいいってこと心に留めておいてほしい。



ラジオで
「被災地というけれど、そこは私たちのふるさとなんです」と言っていた。

そこしか聞かなかったので、前後は分からなかったけれど、

そう、どこか遠くの被災地ではなく、自分のふるさとだったらと想像してほしい。
自分の大事な人が犠牲になったと想像してほしい。

どうだろうか、
想像することさえ、恐ろしいことだと思う。


1年経ったからだろうか、
今回の震災の意味、原発爆発の意味を語る人がいる。

そんなの、意味なんてないよ。
自分たちの子や孫や、その先に続く未来に、
二度とこんな悲しい思いをさせないための教訓はあっても、意味なんてあるわけがない。

原発やら放射能やら、気づくための契機だなんて、
あぁ、気づけて良かったなんて、
意味があったから、こんなことが起きても仕方ないなんて、到底思えない。

そんなことのために、あなたの大事な人が奪われたのではないよ。

確かにそう思うことでご自分を納得させている一面はあると思うけれど、
それは本人だけが言っていいことだと私は思う。

岩手・宮城・福島を訪れたことがない方、
自分のふるさとが、大好きな町が、大好きな人が
突然失われた虚無感・空虚感を想像してほしい。


今日はこの1年、治療院で聞いてきたお話、感じたことを
その方にお話ししているつもりで書いたので、文脈がつながっていなかったり、
話口調のところがあったり、読みづらいかもしれませんが、どうしてもいま書いておきたくって。

そろそろ、
ポツリポツリと、自分の感情を素直に出してみませんか。
そうして少し楽になれるといいのだけれど。

さぁ、明日はどんな一日かな。
幸せがひとときでも訪れますように。



posted by そら at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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